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やなせたかし〈前編〉

アーティスト解体新書

No.032

アンパンマンの生みの親として知られるやなせたかし。2019年には生誕100年を迎え、記念の展覧会や、やなせの一生を描いたアニメーションの公開のほか、子どものための良心的な芸術活動に対して贈られる「やなせたかし文化賞」の第1回受賞者も発表されました。


Illustration:豊島宙
Text:浅野靖菜

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2019.12.25

やなせたかし(1919-2013)

本名・柳瀬嵩。1919年に生まれ、父母の郷里である高知県で育つ。童謡『手のひらを太陽に』の作詞、アニメーション映画『千夜一夜物語』(虫プロダクション)の美術監督、絵本『やさしいライオン』(フレーベル館)の制作など多彩な創作活動を展開した。50歳の時に雑誌『PHP』に大人向けのメルヘンとして「アンパンマン」を発表。その後、初めて幼児向けの絵本として発表したキンダ—おはなしえほん『あんぱんまん』(フレーベル館)で人気を博した。そのほか、地域や企業のイメージキャラクターのデザインも数多く手がけている。


職業は「漫画家」

やなせたかしは東京高等工芸学校を卒業し、戦争経験を経て復員後は、高知新聞社に入社。『月刊高知』で表紙絵、漫画、付録までを手がけていた。1947年に上京してからは、三越でグラフィックデザイナーをしながら、副業で漫画を描き、1953年にフリーの漫画家となる。やなせが描いていたのは、『ビールの王さま』(1954年)や『ボオ氏』(1967年)といった、どこか憎めない愛らしいキャラクターを主人公にしたセリフのない四コマ漫画だ。しかし、ヒット作に恵まれず、知人の紹介されるままにテレビやラジオの脚本、舞台演出などもこなしていた。

雑誌『詩とメルヘン』『いちごえほん』

1960年代は劇画ブームで、過激で暴力的な表現を用いたストーリーマンガが多く登場した。ユーモアあふれる四コマ漫画を描いてきたやなせは、次第に詩や童話といったメルヘンの世界で注目されていく。1973年に季刊誌『詩とメルヘン』(のちに月刊)、1975年に子供向けの詩と絵の月刊誌『いちごえほん』が創刊され、やなせは両誌の編集長を務める。読者から投稿された詩にプロのイラストレーターが絵をつけるこれらの雑誌から、葉祥明、黒井健、永田萌らが絵の才能を開花させていった。

日陰に生きる人間の気持ち

やなせは5歳の時に父親を亡くし、後に母親の再婚に伴い伯父の家に引き取られている。養子として先に貰われていった弟と自らを比べ、運動能力や器量で劣等感を抱いていた幼少時代。一人、部屋の中で絵を描く時間も多かった。どこか孤独を感じていたのか、思春期には、夜の線路に横たわって自殺しようとしたこともあったという。大人になってからも、仲間の漫画家たちが20~30代でブレイクする中、やなせがヒット作『アンパンマン』を世に出したのは50代になってから。長い不遇の時代とその反動が、マルチな仕事ぶりや若い才能の発掘・育成に繋がっていったのかもしれない。

<後編に続く>

協力:(公財)やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団

香美市立やなせたかし記念館
やなせたかしの多彩な創作世界を収集・研究・公開するために、1996年に開館。敷地内には、アンパンマンの世界を体感できる「アンパンマンミュージアム」、雑誌『詩とメルヘン』の作品を鑑賞できる「詩とメルヘン絵本館」などがある。

住所:高知県香美市香北町美良布1224-2
電話:0887-59-2300

http://anpanman-museum.net

豊島宙(とよしま・そら)

イラストレーター。1980年茨城県生まれ。パレットクラブスクール卒業。

国内外問わず、雑誌、広告、WEB、アパレルを中心に活動中。サッカー関連のイラストレーション、メンズファッションイラストレーション、似顔絵を得意とする。

http://soratoyoshima.net

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