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レオナルド・ダ・ヴィンチ〈前編〉

アーティスト解体新書

No.034

ルネサンスを代表する芸術家で、絵画だけでなく医学、生物学、物理学、工学など多岐にわたる学問に精通し、「万能の天才」とも呼ばれるレオナルド・ダ・ヴィンチ。2019年で没後500年を迎えてもなお多くの謎が残され、芸術家や学者たちにリスペクトされるなど、その影響力は計り知れません。前編では、レオナルドの人物像やキャリア初期の意外な仕事を紹介します。


Illustration:豊島宙
Text:浅野靖菜

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2020.01.22

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)

イタリア中部フィレンツェの郊外にある小村、ヴィンチ村で公証人の父と農民の母との間に生まれる。14歳の頃に芸術家ヴェロッキオの工房で修行を始め、30代からはミラノやフィレンツェの宮廷でマルチに活躍した。世界的な名画《最後の晩餐》(1495〜98年頃)や《モナ・リザ》(1503〜1505年頃)、手稿に記された多岐にわたる研究の記録は、現在も多くの人々を惹き付けてやまない。


見目麗しい芸術家

レオナルドの肖像といえば、立派な顎髭を蓄えた老年の姿が有名だが、若い頃の容姿は美男子だったと伝えられている。加えて身だしなみや立ち居振る舞いには気を遣っていたようで、薔薇色の服や毛皮のついたマントを羽織り、性格は親しみやすく穏やかだった。そのため、多くの知識人や技術者と交流を持つことができ、親友でもある数学者のルカ・パチョーリの著書『神聖比例論』には幾何学図形の挿絵を提供している。

はじまりはエンターテイナー

フィレンツェのヴェロッキオ工房で修行を終えて30歳になった1482年、フィレンツェの文化を外交の武器にしていたロレンツォ・デ・メディチからミラノの権力者ルドヴィコ・スフォルツァへの贈り物として、銀細工の施された弦楽器とその秀でた奏者としてミラノに赴くことになる。宮廷での主な仕事は、演劇の演出や舞台装置の開発、パレードの企画だった。手稿によく描かれる飛行装置などは舞台用としても開発されたと考えられ、機械仕掛けの鳥や役者を宙吊りにする方法、回転舞台などは、その後の科学的研究にもつながっていく。

計算された視覚的イリュージョン

サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会の食堂壁画として制作した《最後の晩餐》(1495~98年頃)には、舞台演出で用いられる加速的遠近法が鑑賞者の視線誘導に効果を発揮しているとの説もある。加速的遠近法は、奥にいくにつれて壁や天井を極端に縮ませる方法だ。壁や天井の線はイエスの頭部に集まるように設定されているが、修道士たちが右側の壁から入ってきた時に自然に見えるよう調整されている。

<後編に続く>

協力:池上英洋(東京造形大学教授)

豊島宙(とよしま・そら)

イラストレーター。1980年茨城県生まれ。パレットクラブスクール卒業。

国内外問わず、雑誌、広告、WEB、アパレルを中心に活動中。サッカー関連のイラストレーション、メンズファッションイラストレーション、似顔絵を得意とする。

http://soratoyoshima.net

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