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夏目漱石〈前編〉

アーティスト解体新書

No.012

今年(2017)生誕150 年を迎えた、夏目漱石。『吾輩は猫である』『三四郎』『坊っちゃん』『こころ』『草枕』『夢十夜』など、今なお色あせない深い心理描写とユーモアにあふれた名作を次々と生み出しました。近代日本を代表する文豪の知られざる人物像に迫ります。


イラスト:豊島宙
構成・文:TAN編集部(合田真子)

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2017.01.12

夏目漱石(なつめ・そうせき 1867-1916)

本名・夏目金之助。江戸の牛込馬場町下横町(現・東京都新宿区喜久井町)生まれ。東京帝国大学英文科を卒業後、旧制高校で英語教師をしながら英文学研究に取り組むが、明治38年(1905)、俳句雑誌『ホトトギス』に寄稿した『吾輩は猫である』が評判となり、小説の道へ進む。


繊細な感受性ゆえに複雑な性格の持ち主だった漱石は、時や接した人によってしばしば違う顔を見せた。だが、突発的なかんしゃく持ちという点は生涯を通じて変わらなかったようで、多くの逸話が残る。ある時、銭湯で漱石が体を洗っていると、そばで一人の“頑丈な男”が激しく湯を浴び、その飛まつが漱石の頭にかかり続けた。思わず「馬鹿野郎!」と怒鳴った漱石だったが、すぐ後悔し、男の反撃を恐れて内心ろうばいしていた。しかし、漱石のかんしゃくの迫力にひるんだ男が「すみません」と素直に謝罪、そっと胸をなでおろしたという。

漱石より10歳下の鏡子夫人(1877-1963)は、神経衰弱に悩まされていた漱石の言動などから周囲の誤解を受け「悪妻」と評されることもあったが、実際の夫婦の絆は強いものがあった。結婚4年目の明治33年(1900)、文部省(当時)の派遣で英文学者としてイギリスに約2年留学した折、漱石は「おれのような不人情な者でもしきりにお前が恋しい」と書き送り、鏡子も「あなたの事を恋しいと思い続けていることでは負けないつもりです」と返信した、実にむつまじい書簡が残る。7人の子宝にも恵まれ、心身ともに好不調の波が大きかった漱石を、最後まで献身的に支え続けた。

漱石の周辺にいた実在の人物や、実体験に基づいたできごとをモチーフとし、細かな観察力で描写・構成する小説が多い漱石作品のなかで、特異な例といえるのが『夢十夜』。十編のうち四編の冒頭で用いられている書き出し「こんな夢を見た。」が有名なこの連作短編集は、漱石がこまめに書き綴っていた日常の記録のなかで、ときおり記していた夢の記録が元となっている。持病の神経衰弱がこうじているさなかの苦しいときほど冴え渡ったという夢の描写は、不思議で不条理な美しさにあふれ、幻想文学の傑作へと結実した。

<後編に続く>

監修:国書刊行会

豊島宙(とよしま・そら)

イラストレーター。1980年茨城県生まれ。パレットクラブスクール卒業。

国内外問わず、雑誌、広告、WEB、アパレルを中心に活動中。サッカー関連のイラストレーション、メンズファッションイラストレーション、似顔絵を得意とする。

http://soratoyoshima.net

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