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森鴎外〈前編〉

アーティスト解体新書

No.042

日本が近代化へ大きく舵を切った明治時代、小説、戯曲、翻訳、評論などを通して日本人の精神性を書き続けた文豪・森鴎外。陸軍軍医として日清・日露戦争を経験し、多彩な執筆活動を行いました。前編では、日本の医学・文化の発展に尽力した、公人としての鴎外に焦点を当てます。


Illustration:豊島宙

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2021.07.14

森鴎外(1862-1922)

本名・森林太郎。石見国(現島根県)津和野藩の御典医(ごてんい)の家に長男として生まれる。1873年11歳で東京医学校(現東京大学医学部)予科に入学、15歳で本科へ進学し、19歳で卒業。陸軍に入り、1884年には衛生学の調査及び研究のためドイツへ留学。陸軍軍医として務めながら、小説家、戯曲家、翻訳家、評論家として執筆活動を行い、退官後は宮内省帝室博物館(現東京国立博物館)総長兼図書頭に就任するなど、多分野において類まれなる才能を発揮した。


自我の目覚め

幼少期にオランダ語とドイツ語を学び、年齢を2歳上に偽り11歳で東京医学校予科に入学。卒業後は陸軍に入り、その語学力を評価されてドイツへ留学した。廃藩置県で藩付きの医者という肩書きのなくなった森家と、近代化を推し進める明治政府。鴎外のドイツ留学は、このふたつの命運を背負ってのものだった。最新の医学知識やヨーロッパ文化を吸収し、多くの学術書・小説・哲学書を読んだ鴎外は、帰国後、「林太郎」として国家や軍の一翼を担い、森家の長として家族を養いながら、「鴎外」として自分の考えを小説や評論で世に問うていく。

忘れえぬ女(ひと)エリーゼ

1890年、留学体験を下敷きにした初の小説『舞姫』を発表。身篭ったヒロインを残して主人公が帰国する展開は文学界に衝撃を与え、初の近代文学論争が巻き起こったほどだった。実は、ヒロインのモデルではないかと言われているドイツ人女性エリーゼが、鴎外が帰国してすぐに来日している。軍医としての立場や、海軍中将の娘との婚約が控えていたこともあり、1カ月にも及ぶ説得の末にエリーゼは帰国した。鴎外はこの間、密かに会いに行き、帰国後も長い間文通を続けていたという。

才気あふれる仕事ぶり

45歳で軍医の最高位である陸軍軍医総監・陸軍省医務局長に就任し、論文や講演で公衆衛生の必要性を説くなど、衛生医学の普及にも貢献した。1916年に54歳で退官した後は、宮内省帝室博物館総長兼図書頭や帝国美術院の初代院長に就任し、文化面でも国の発展に努めている。その間にも、小説や文芸雑誌の創刊・編集、評論など精力的に執筆活動を継続し、晩年は『興津弥五右衛門(おきつやごえもん)の遺書』(1912)、『阿部一族』(1913)、『高瀬舟』(1916)といった歴史小説や史伝を発表し続けるなど、日本近代文学に大きな足跡を残した。

Text:浅野靖菜
監修:文京区立森鴎外記念館

文京区立森鴎外記念館
鴎外が半生を過ごした東京・千駄木の旧居「観潮楼」の跡地に2012年開館。原稿・書簡・遺品等の鴎外資料の展示や、テーマごとの展覧会を通して鴎外の魅力を発信し続けている。

住所:東京都文京区千駄木1-23-4
電話:03-3824-5511
https://moriogai-kinenkan.jp

豊島宙(とよしま・そら)

イラストレーター。1980年茨城県生まれ。パレットクラブスクール卒業。
国内外問わず、雑誌、広告、WEB、アパレルを中心に活動中。サッカー関連のイラストレーション、メンズファッションイラストレーション、似顔絵を得意とする。
http://soratoyoshima.net

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