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森鴎外〈後編〉

アーティスト解体新書

No.043

明治時代に陸軍軍医として医療に従事しながら、和魂洋才な小説や評論で文学界・美術界の近代化に大きく貢献した森鴎外。千駄木の自宅には鴎外を慕って、ともに雑誌を主宰した文壇の同士、画家や歌人など多くの芸術家が集まりました。後編では、芸術家たちとの交流や家庭での姿など、私人としての鴎外に迫ります。


Illustration:豊島宙

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2021.08.25

森鴎外(1862-1922)

本名・森林太郎。石見国(現島根県)津和野藩の御典医(ごてんい)の家に長男として生まれる。1873年11歳で東京医学校(現東京大学医学部)予科に入学、15歳で本科へ進学し、19歳で卒業。陸軍に入り、1884年には衛生学の調査及び研究のためドイツへ留学。陸軍軍医として務めながら、小説家、戯曲家、評論家、翻訳家として執筆活動を行い、退官後は宮内省帝室博物館(現東京国立博物館)総長兼図書頭も務めるなど、多分野において類まれなる才能を発揮した。


芸術家の良き理解者

最先端のヨーロッパ芸術に触れ、東京美術学校の講師や文展の審査員も務めていた鴎外は、新しい表現を試みる芸術家をいち早く評価する、厳しい批評者であり良き理解者であった。そうした鴎外の姿を、教え子の高村光太郎は八面六臂の大威徳明王に託して描いている。鴎外も、留学中に知り合った原田直次郎の《騎龍観音》(1890)が批判された際には論文を発表して擁護した。また、文展の落選理由を尋ねに来て以来面倒を見ていた宮芳平をモデルに、短編小説『天寵』(1915)を書くなど、彼らに対し敬意やあたたかい愛情を示した。

衛生的な生活

東京大学で衛生学を学び、ベルリン大学で近代細菌学の開祖コッホに学んだ鴎外は、少々神経質で潔癖症な面もあった。衛生的観念から風呂ではなく朝夕2回金盥1杯の湯と手ぬぐいで身を清め、生ものは口にせずに果物も煮て食べていた。食に関しては、牛乳の滅菌方法や長期保存可能な醤油の成分比較など、実験的医学に基づいた衛生知識を、雑誌等で積極的に紹介している。また、ご飯に饅頭を割ってのせて煎茶をかける「饅頭の茶漬け」や、木村屋のあんぱん、焼き芋などの和風スイーツも好んだようだ。

森家のパッパ

鴎外には、医学博士になった長男・於菟(おと)、小説家の長女・茉莉(まり)、随筆家としても活躍した次女・杏奴(あんぬ)、夭折した次男・不律(ふりつ)、随筆や絵画にも親しんだ三男・類(るい)の5人の子どもがいる。個性的な命名は、自身の名である「林太郎」が外国人には発音しにくかったため、海外にも通用する名前を、という親心から。日中は官の機関で働き夜は執筆、睡眠時間は2~3時間と忙しい日々でも、出張先からは毎日手紙を出し、自作の教科書で勉強を見るなど、子どもたちに分け隔てなく愛情を注いだ。成人した4人はみな父に関する著作があり、自分が一番父に愛されていたと一様に語っている。

<完>

Text:浅野靖菜
監修:文京区立森鴎外記念館

文京区立森鴎外記念館
鴎外が半生を過ごした東京・千駄木の旧居「観潮楼」の跡地に2012年開館。原稿・書簡・遺品等の鴎外資料の展示や、テーマごとの展覧会を通して鴎外の魅力を発信し続けている。

住所:東京都文京区千駄木1-23-4
電話:03-3824-5511
https://moriogai-kinenkan.jp

豊島宙(とよしま・そら)

イラストレーター。1980年茨城県生まれ。パレットクラブスクール卒業。
国内外問わず、雑誌、広告、WEB、アパレルを中心に活動中。サッカー関連のイラストレーション、メンズファッションイラストレーション、似顔絵を得意とする。
http://soratoyoshima.net

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