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アルベルト・ジャコメッティ[前編]

アーティスト解体新書

No.010

細長く引き伸ばされた人物像で知られるアルベルト・ジャコメッティ。人間の存在を突きつめたその特異な造形は、20世紀の彫刻に新たな地平を切り開きました。独自のスタイルを完成させるまでに彼はどのような生涯をたどったのか、2回に分けてたどります。


イラスト:豊島宙
構成・文:TAN編集部(合田真子)

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2017.01.10

アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)

スイス南東部、アルプスの小村ボルゴノーヴォに生まれ、5歳から隣村のスタンパで育つ。1925年頃より、パリで彫刻を中心に作品を発表し始める。抽象彫刻を経たのち、細長い独自の人物像のスタイルに到達した。


画家であった父(ジョヴァンニ・ジャコメッティ、1868-1933)のもと、芸術に親しみながら育ったジャコメッティは、12歳で油彩、13歳で彫刻を始める。14歳で入った寄宿学校ではラテン語などを学び優秀な成績を収める一方で、一人だけ作品制作のための小さな部屋を与えられていたほど、早くから芸術への素質と情熱を見せた。寄宿学校で最初のクリスマス休暇の折、帰省の途中の乗り継ぎ駅で立ち寄った書店で、ロダンの作品集を買ってしまったために残りの汽車賃がなくなり、スタンパまでの雪道を何十キロも歩いて帰る羽目になったこともあったという。

1922年にパリへ出てきたジャコメッティは、美術学校でロダンの弟子のブールデルから具象彫刻を学んでいたが、1925 年頃より、エジプトやアフリカ、オセアニアなどの美術、そしてキュビスムやシュルレアリスムの要素を取り入れた表現に傾倒していき、直感的に浮かんだ形を立体にする手法で、印象的な抽象彫刻を次々と発表していった。1930年に《吊り下げられた球》を絶賛したダリ、ブルトンらからシュルレアリスム運動に誘われ参加し、成功を収める。だが次第に、対象を見ることなくイメージだけで作り出す抽象表現に意義を見いだせなくなり、1934年に決別した。

再び具象彫刻に取り組み始めたものの、どれだけ写実を究めても、すべてを見た通りには表せないことに悩む時代が長く続いた。ある夜、大通りの向こうを歩く恋人の小さな姿を眼にし、その印象を形にしようと試みたところ、像は作るたびに縮み、とうとう指の先ほどに極小化してしまった。しかし、距離をおいて見るというこの方向性で対象の全体をつかめると感じたジャコメッティは、作品として成り立たせるため、約1mより小さくはしないことだけを決めて作るようにした。すると像はどんどん細く、長くなっていったという。美術史に新たな地平を切り拓いた人体表現は、1947年、こうして誕生した。

<後編に続く>

豊島宙(とよしま・そら)

イラストレーター。1980年茨城県生まれ。パレットクラブスクール卒業。

国内外問わず、雑誌、広告、WEB、アパレルを中心に活動中。サッカー関連のイラストレーション、メンズファッションイラストレーション、似顔絵を得意とする。

http://soratoyoshima.net

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