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ル・コルビュジエ〈前編〉

アーティスト解体新書

No.025

20世紀を代表する建築家ル・コルビュジエ。2016年には、東京・上野にある国立西洋美術館を含む世界中に点在する17の資産が世界文化遺産になったことで、大きな話題となりました。時代の精神を建築や絵画、数々の自著などに反映させていった総合芸術家としてのル・コルビュジエをご紹介します。


Illustration:豊島宙
Text:浅野靖菜

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2019.05.15

ル・コルビュジエ(1887-1965)

本名 シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ。1887年、高級時計の生産地として知られるスイスのラ・ショー=ド=フォンで、時計盤のエナメル職人の家に生まれる。近代建築の三大巨匠のひとりに数えられ、近代の生活に即した住宅や公共建築、都市計画を提唱した。また建築だけでなく、絵画や家具のデザインも手がけ、芸術批評や執筆でもその才能を発揮した。


またの名を画家ジャンヌレ

1900年に家業を継ごうと地元の美術学校に入学したジャンヌレだが、生来の視力の悪さからそれを断念し、画家を志すようになる。30歳からパリに移り、画家アメデ・オザンファンと「ピュリスム(純粋主義)」運動を推進した。ピュリスムは、近代の工業化社会を芸術に反映させる思想だ。感覚(色彩)よりも理性(形態)を重視し、幾何学的な形態と落ち着いた色調が作品の特徴となっている。パリではオザンファンをはじめ、キュビスムの大家であるブラックやピカソと交流し、その表現を洗練させていった。

建築家ル・コルビュジエへ

ジャンヌレの建築家としてのスタートは、美術学校在学中の1905年。建築と装飾との関連を追求していた美術教師の勧めで行った、美術学校の理事のための住宅の設計である。以降、ジャンヌレは建築家兼画家として活躍しながら、1920年には総合芸術雑誌『エスプリ・ヌーヴォー(新精神)』を創刊する。これは絵画や音楽から医学、スポーツまでを網羅した論文集で、編集はオザンファン、経営面はジャンヌレが担っていた。この雑誌でジャンヌレが建築批評に用いたペンネームが「ル・コルビュジエ」である。建築評論家ル・コルビュジエの名は、次第に建築家としての彼を表すようになっていった。

建築に表れる絵画の影響

ル・コルビュジエの建築には、画家としての視点も垣間見える。一見すると鉄筋コンクリートによる白や灰色の壁とガラス窓のシンプルな建物である。しかし、その随所に白を際立たせる色彩が用いられ、心地よいリズムを生み出している。その色彩は、絵画での作風の変化に呼応している。ピュリスムを推し進めていた当初は彩度の低い色だったものが、1925年ごろからは描く形態は丸みを帯び、色彩は原色に近いものとなっていく。この作風の変化と建築家としての目覚ましい活躍は、静かで洗練された作風で経済的なことには不得手なオザンファンとの間に亀裂を生じさせてしまう。1925年にオザンファンが『エスプリ・ヌーヴォー』を離れたことで、二人は決別することとなった。

<後編に続く>

主要参考文献

アンドレ ヴォジャンスキー著、白井秀和訳『ル・コルビュジエの手』、中央公論美術出版、2006年
松隈洋『ル・コルビュジエから遠く離れて:日本の20世紀建築遺産』、みすず書房、2016年
『ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代』、国立西洋美術館、2019年
米田尚輝「網膜上の記譜法──ル・コルビュジエの写真とデッサンについて」10+1 website
http://10plus1.jp/monthly/2010/07/issue2.php

豊島宙(とよしま・そら)

イラストレーター。1980年茨城県生まれ。パレットクラブスクール卒業。

国内外問わず、雑誌、広告、WEB、アパレルを中心に活動中。サッカー関連のイラストレーション、メンズファッションイラストレーション、似顔絵を得意とする。

http://soratoyoshima.net

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