 鴻池朋子 展示風景 「惑星はしばらく雪に覆われる」 ミヅマアートギャラリー 2006 撮影:中道淳 (Nacasa & Partners) (c)KONOIKE Tomoko
世界やアジアの動き、マーケットの仕組みを知る
これまでアートマーケットは欧米が中心でしたが、2000年代からはアジア経済の発展とともに、アジア各地で新たなマーケットの形成がはじまり、ビエンナーレなどの国際展が生まれました。クリスティーズやサザビーズが香港ではじめたアジアンオークション、中国、東南アジア、インドのマーケットはどんどん力をつけ、2008年9月のリーマン・ショックまでオークションハウスの力は非常に高まりました。オークションハウスのメンバーたちは作家探しのため、日本の貸しギャラリーにまで足を運び、無名の作家でもオークションに出し、それを日本人が購入するといった逆輸入の構造まで生まれました。セカンダリーマーケットで値段を出した後にプライマリーマーケットで高額で売るといった、とても健全とは言えない現象も起きました。最近はようやくアジアマーケットも落ち着きつつありますが、アートバブルの後退と質のいいプライマリーギャラリーが登場してきたからでしょうか。台湾や韓国、日本のギャラリーなどでは、お互いの作家を交換して展覧会を開催したり、同時にアジアや欧米のキュレーターにも紹介していくという活動もしています。
2010年4月に「アジア・アート・アワード(AAA)」と呼ばれる40歳以下のアジアの若い作家を顕彰する制度が韓国で誕生しました。欧米でいうところのターナー賞やヒューゴ・ボス賞のような制度が、ようやくアジアの中にできつつあるんです。残念ながら、日本はこの賞の創設ではイニシアチブをとっていません。1952年、アジア初の東京ビエンナーレをはじめたのは日本でしたが、現在の文化発信力は非常に弱い。国の支援力が違うということも挙げられます。AAAを主催する韓国では、プライマリーギャラリーの作家が国際展に参加する場合、運送費が支援されるんです。世界に発信する文化・スポーツに対して凄く強い意識をもっていて、国が応援しています。香港にも大規模な総合美術館の建設が進んでいて、将来はアジアの文化的なハブになる計画です。韓国、上海、台北、シンガポールにもビエンナーレがあって、大規模な国際展が開催されています。このように現在のアジアにはアートフェア、ビエンナーレなどの国際展や、各国が美術館建設を促進中で、欧米に次ぐ第三極のアートの潮流が起きています。
マーケットのないところに作家は育ちません。一番いい例が、日本の貸しギャラリーという特殊な制度。貸し画廊は、釣り堀なんですよ。作家はアルバイトで稼いだお金でスペースを借りて、「いつか誰かに見染められたい」と釣られるのを待っている。しかし、その釣り堀は大海につながっていない。仮に作品が売れたところで、何も変わらないんです。重要なのは、プライマリーのギャラリーが世界につながっているということです。例えばうちの作家には、アジアの中に作品があることが重要だと言っている者もいます。タイ人のアーティスト、アピチャッポン・ウィーラセタクンは、先ほどのAAA賞をとった作家(第63回カンヌ国際映画祭パルムドールも受賞)ですが、これをきっかけにヴェネツィア・ビエンナーレにいくかもしれない。もう、アジアの成功が世界の成功なんですよ。第3回目の開催となった香港のアートフェア「ART HK 10」は、アジア一のインターナショナルで、レベルの高いものに育ちました。ロンドンのホワイトキューブ、パリのエマニュエル・ペロタン・ギャラリーなど、一流の画廊もどんどん参加している。大きなうねりの生まれる場所がアジアにできたわけです。日本の作家もギャラリーもまずこの状況を知らなければ、将来の展望なんてできないでしょうね。いつまでも欧米ばかりを見ていると時代を見誤りますよ。
デビューは、もう日本でなくてもいいんです。台湾や韓国の画廊でデビューしたっていいんですよ。要するに発想を変えろということです。ロンドンのゴールドスミスを出て、ウエスタンスタイルで現代アートシーンを駆け上がっていくのではなく、アジアを意識して北京の中央美術学院や韓国の弘益大学で学んだっていい。ギャラリストも、世界のダイナミックな動き、アジアの動き、マーケットの仕組みがわかってはじめて、作家の展望が見えるわけです。それがなければ、ちょっと面白そうな作家を見つけて、展覧会をやっておしまいですよ。うちは釣り堀ではないので、四六時中世界に向けてプロモーション活動をしています。午前中にデュッセルドルフのクンストハレのキュレーターが来たと思ったら、午後にフランスの国営放送、夜は香港のコレクターが来るようになり、ようやく世界の美術界とつながり出しました。97年の会田誠の展覧会だったかな。某美術雑誌にレビューを載せてくれってお願いしたら断られた(笑)。そして30万円の作品が1点しか売れない時代もありました。作家もギャラリーも苦しい時代を経て、ようやくここにたどり着いたのです。一歩一歩階段を昇ってきたのです。
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