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インタビュー
No.005
面白い場所、人との生の出会いがチャンスを生む
語り手:メディアアーティスト 八谷和彦さん
日本を代表するメディアアーティストの八谷和彦さん。《視聴覚交換マシン》や《見ることは信じること》などの特殊コミュニケーションツールシリーズ、ジェットエンジン付きスケートボード《エアボード》やパーソナルフライトシステム《オープンスカイ》など、機能をもった装置でもある作品を数々制作しています。今回のインタビューでは、アーティストとしての活動に足を踏み入れていくようになった経緯についてお聞きしました。
《オープンスカイ》撮影/米倉裕貴

現代美術ファンからアーティストへ

 僕は、九州芸術工科大学(現在は九州大学芸術工学部)という数少ない理系芸術系国立大学の画像設計学科でグラフィック・デザインを学びました。当時は、DTP(コンピュータを使った編集・印刷)への移行期で、福岡にある、マッキントッシュ用アメリカ版DTPソフトの日本語OSへの対応(ローカライズ)を手がけているメーカーの関連会社でアルバイトなどをしていました。卒業後は、グラフィック・デザイン一本でいこうとは思っていなくて、プランナーとしてデザイナーを支援しながら働こうと思い、東京でCIコンサルティングの会社に就職したんです。

 1991年に松尾晴之さんと個人TV放送局ユニット「SMTV」を立ち上げ、15分のインタビュー番組を制作してビデオパッケージにしたりしていました。それを見た町田市立国際版画美術館の学芸員やレントゲン藝術研究所のディレクターに声をかけられ、徐々に美術のイベントに参加するようになりました。町田市立国際版画美術館では、メディアアートを複製芸術の概念で積極的に取り上げていたんですね。当時大森にあったレントゲン藝術研究所では、面白い企画をたくさんやっていて、お客として通ううちに、ギャラリーの方やアーティストたちと知り合うようになっていました。

 1992年に中原浩大さんの《Making of NAKAHARA》という作品の映像ソースを中原さんからお借りして、NICAF会場やワタリウム美術館などの傘立てに、液晶モニタをつけた傘を置いて、外から映像を送ってミニ展示をしたりしましたね。また、インゴ・ギュンターさんが「P3 art and environment」(東長寺講堂)で行った、観客が小型液晶テレビを手に10のチャンネルを探査していく「エクシビション・オン・エア」に、11番目のチャンネルを勝手につくって介入したり。もちろんこっそりやっていたのですが、それに気づいたギュンターに後で「いいレスポンスをもらった」と喜ばれたりしました。当時は、若手の作品を発表する場所があまりなく、「ザ・ギンブラート」(1993)「新宿少年アート」(1994)など街中で半ばゲリラ的にアートイベントが行われるようになっていったんです。

 最初はそんなふうにアーティストの作品にどう面白く反応しようか、とどちらかというと編集者感覚でいたんですが、1993年、レントゲン藝術研究所で一晩だけ自分たちの作品を展示することになりました。その「インターディスコミュニケーション ワンナイトエキシビション」で発表した《視聴覚交換マシン》が実質のデビュー作となりました。当時は面白い場所にはいろいろなジャンルの人たちが垣根を超えて集まっていたから、反響が多方面にじわじわと広がりやすかったように思います。その当時は、漫画家の岡崎京子さんや井上三太さんにチラシのイラストを描いてもらうなど、新たなお客さんに来てもらうにはどうするか、どう伝えるかを考えたりもしていましたね。

 準備室時代のNTTインターコミュニケーション・センター[ICC]にもよく見にいっていて、海外の作品を見て、自分だったらもっと面白くできるとか思っていました。日本のゲーム世代なので(笑)。今思えばかなり不遜な話ですが、そんなのもあって僕にはメディアアートが合っているんじゃないかなと。

 ただしメディアアートの問題は、作品をつくるのに結構な機材代がかかるってこと。1995年に当時賞金額がかなりあった「ジャパン・アート・スカラシップ」(シヤチハタ工業主宰)に応募したらグランプリをいただけたのですが、7月に発表され、11月に展覧会を開かないとならず、また賞金の1000万円は自身の人件費には使えなかったので、もう二足のわらじでは無理だなと思い、自分の生活費は貯金をとり崩しながらアトリエにした工場に寝泊まりして、制作に専念しました。そこから本格的にアーティスト活動に入り、現在に至ります。

《視聴覚交換マシン》1993-2011 撮影/黒川未来夫
《視聴覚交換マシン》1993-2011 撮影/黒川未来夫

「ジャパン・アート・スカラシップ」グランプリ《ワールドシステム》1995
「ジャパン・アート・スカラシップ」グランプリ《ワールドシステム》1995


アートでしかやれないライブな体験にチャンスが

八谷Pプロデュース「エクストリームDIY」by中川基/荻野剛/鈴木ヒロシより《テスラコイル(DRSSTC)》
八谷Pプロデュース「エクストリームDIY」by中川基/荻野剛/鈴木ヒロシより《テスラコイル(DRSSTC)》

 今はコンテンポラリーアーティストが映像作品を制作したりして、コンピュータは純粋に道具になり、メディアアートはコンテンポラリーアートに吸収されつつある、というのが僕の現状認識です。今後、メディアアートとして可能性のあるのはマシンアートとかバイオアートなのかな、とか。マシンアートでは、テオ・ヤンセンとかラ・マシンとかのように、スペクタクル性のあるエンタテイメントと融合するような可能性も感じます。中国や韓国でもメディアアートに力を入れているらしいですしね。

 また一部のメディアアーティストは、真鍋大渡さんやplaplaxのように、広告やパブリックアートにも進出していますよね。アートとデザインの間にあり、商業的なものになじみやすいのは、良い特質だと思っています。世の中が面白くなりますしね。同時に学生の映像作品であっても……例えば「フミ子の告白」のように、質の高い作品を作り続けていれば You Tubeなどでプロを含む多くの眼にとまる時代にもなってきている。

 一方でアートのなかでしかやりきれないことや、会場に来ないとできない体験も大事だと思っていて、個人で飛行機をつくる《オープンスカイ》でエンジニアの方を始め、さまざまな人とコラボレーションしたり、ゴム索機では参加者に引っ張ってもらって機体を飛ばしたりしていました。そのほか自分で作品を作る以外に最近はディレクターやオーガナイズの仕事もしてまして、昨年は3331 Arts Chiyodaでディレクターとして「エクストリームDIY」と題して中川基さん、荻野剛さん、鈴木ヒロシさんという化学・工学系の方たちとテスラコイル等を使った作品を展示しました。今年6月は東日本大震災の後に、物理学者や研究者、SF作家の野尻抱介さんと一緒に「ガイガーカウンターミーティング」を行いましたが、このようなある種アクティヴィスト的な動きも、アートの立場からはニュートラルに行いやすいので、まだまだいろいろなことができるチャンスがあると思っています。


インタビュー・文/白坂ゆり


Information

・「魔法かもしれない。−八谷和彦の見せる世界のひろげかた―」
会期/9月4日(日)まで
会場/SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザ 映像ミュージアム
http://www.skipcity.jp/event/vm/1104251.html

・「オープンスカイ in 霧島」
会期/9月25日(日)まで
会場/鹿児島県霧島アートの森
http://open-air-museum.org/ja/

八谷和彦(はちやかずひこ)

八谷和彦(はちやかずひこ)

メディアアーティスト。1966年4月18日(発明の日)佐賀市生まれ。九州芸術工科大学(現九州大学芸術工学部)画像設計学科卒業。個人TV放送局ユニット 「SMTV」、コンサルティング会社勤務を経て現在に至る。メールソフト《ポストペット》の 開発者でもあり、ポストペット関連のソフトウェア開発とディレクションを行なう会社「ペットワークス」の設立メンバーでもある。主な個展に「見ることは信じること」(1996年、広島市現代美術館/広島)、「八谷和彦─OpenSky 2.0」(2006年、NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]/東京)ほか。
http://www.petworks.co.jp/~hachiya

 
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