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トーキョー・アートビジョン
No.012 節目節目に残してくれた大切な言葉を決して忘れない。
語り手:太鼓ドラマー・プロデューサー ヒダノ 修一(ひだのしゅういち)氏

 3歳の頃からピアノを習い、ビルボードの音楽に憧れるロック少年だったヒダノ修一さんは、音大受験をめざしていたときに、太鼓と出会いました。以来、長唄やジャズ、そして世界中の楽器を学ぶなど、精力的な活動を続けながら、太鼓の魅力を世界に発信し続けています。今回は、ヒダノさんに音楽修行時代のお話を語っていただきました。

天職に導いてくれた鼓童と長唄
写真:ヒダノ修一

 私は神奈川県の横浜出身です。ペリー来航以来の風土の影響もあり、ハイカラな西洋文化の中で育ってきたせいか、日本の伝統文化に縁がありませんでした。ピアノを3歳から習って、学生時代にはブラスバンドでドラムやパーカッションをやり、友人とバンドを組んでロックをやっていました。当時は、ビルボードの音楽に夢中で、いつかアメリカでメジャーなミュージシャンとコラボレーションしたいという夢を描いていたのです。

 太鼓と出会ったのは、18歳のときのこと。「鼓童」の演奏を聴いて、その音のあまりに衝撃的な迫力に頭が真っ白になりました。でも「これなら世界に行けるかもしれない!」と直感したのです。すぐに楽屋に押しかけて、「鼓童に入れてくれ!」と頼みこみました。メンバーの人が、「佐渡に1度来てみろ」というので、音大の受験をやめて、極寒の佐渡に渡って鼓童の門を叩きました。そこで、2泊3日の体験をさせてもらった結果、幸い研修生として採用されて1年間頑張りました。そして1年後、新たな自分の可能性を信じて1人でやっていく道を進むことを決意したのです。

 独立した当時は、今のような空前の邦楽ブームが起こるなんて想像すらできなかった時代でしたから、太鼓の仕事などほとんどありませんでした。しかも、集団から離れて1人ですべてを行わなければならなかった手探りの状態だったこともあり、無理がたたって手首を故障して半年ほど棒に振ったり、自分のスタイルが特殊だったために周囲から頻繁にバッシングを受けたりしていました。でも「大好きな太鼓で一生やっていく」ということだけは決めていましたから、そこに迷いはありませんでした。当時、集団芸が当たり前だった太鼓業界で、あくまでもソリストにこだわり、複数で叩いているように聴かせるオリジナルの技を開発するなど、自分なりに楽しみながら頑張りました。

 また同じ頃、音楽に対して新たな感覚を持たせてくれたのが長唄のお囃子でした。藤舎せい子師匠という素晴らしい先生に弟子入りさせてもらえたのです。長唄囃子は太鼓とは違い、より繊細な芸術なんです。そして完璧に整理されたシステムに、強く惹かれました。また他の弦楽器や管楽器と一緒に音楽を作り上げるという点では、バンドに通じる喜びもありました。数百年もの歴史に裏付けされた芸を学ぶことで、改めて自分の進むべき道を確認することができましたね。


まずは共演者を尊敬すること

 20歳のときは、とにかく仕事がほしくて横浜中のジャズクラブを訪ね歩きました。「太鼓と一緒に演奏したい人がいたら連絡ください」と名刺を置いてまわったのです。次第にお呼びがかかるようになり、新たなコネクションもできて道が開けてきました。洋楽出身で楽譜が読めたことで、どんなジャンルでも、どんな楽器でも一緒に演奏できました。自分を売り込むときは「何でもできます!」と大見えを切っていました(笑)。いざその仕事が決まると、あわてて練習したものですが、練習嫌いな僕が自分自身に課したプレッシャーということですね。僕はまず自分自身の性格を把握し、それに対して他力本願ではなく、自らの手で成長できる術を探ることが大切だと感じています。

 著名なミュージシャン達との出会いも多々ありました。ジャンルも多岐にわたっていますが、僕自身が和洋のミュージシャン達の橋渡し的な役割になればと思ってます。その代わりに、たくさんの音楽的なアドバイスを受けました。この節目節目に貰えた大切な言葉の数々は、僕の人生に大きな影響を与えてくれました。僕が何も情報がない時代に洋楽系のアーティスト達と手探りで作り上げた音楽は、年月が経つにつれ自らの糧となり、自らの自信となってヒダノ修一を高めてくれています。共演者の楽器の特性や音楽を勉強することは、とても大切なことなんです。その相手とどれだけ信頼感が生まれるか、これが良い音楽が生み出される第一歩ですね。超一流は別として、気持ちがまったく合わない者同士のコラボレーションは、とても見られたものではありませんし。僕は今までにアジア、アフリカ、欧米や中近東などたくさんの国を訪れて、数え切れないくらい素晴らしい出会いを体験しました。しかも、言葉が通じないケースのほうが多いのです。残された方法は、まず相手を尊敬し、自らを信じてコミュニケーションを図ることのみです。そうやって得た信頼関係は、ずっと生涯にわたって継続できるのです。


身体からエネルギッシュに湧き出るもの
写真:ヒダノ修一

 1回出した太鼓の音は消せないように、僕の仕事は瞬間がすべて。だから、1発を打つための集中力と精神力は並み大抵のものではありません。そこで、大切になるのが日々のトレーニングですが、それに増して重要なのがリラックスすることだと思っています。公演のない日などには、美術館に行って絵画を鑑賞したり、むしろ音楽と関係ないことをして、気持ちをリラックスさせてエネルギーを充電する。それが、演奏に集中してのぞむための僕のやり方です。もともと絵には興味があって、僕自身も勉強して描いていました。音楽だけでなく、僕が特に好きなのは、身体からエネルギッシュに湧き出るものです。身体パフォーマンスのアーティストとのコラボレーションなど、これからも一層チャレンジしていきたいと思っています。

※次回は・・・
東京都写真美術館のキュレーター、岡部友子さんをご紹介します。[4月10日(木)アップ予定]

ヒダノ修一 写真
 
ヒダノ修一
(ひだの しゅういち)

太鼓ドラマーとして1989年のソロ活動開始以降、国内及び世界23ヶ国で約1800回以上の公演を行う。太鼓界で優れた音楽性を持ち、国境とジャンルの壁を軽々と飛び越す唯一無比のテクニックを駆使した演奏スタイルは、世界各国の共演者や観客を圧倒。21世紀の太鼓シーンをリードする。サッカーFIFAワールドカップは、1998年フランス大会と2002年日韓大会の日本人初の2大会連続公式閉会式出演。2006年「世界バレー」開会式に出演。2005年「日韓国交正常化40年(ソウル)」、2007年「日中国交正常化35周年(上海)/プロデュース」の政府主催イベントに出演。あらゆるジャンルに精通するため、和洋融合を得意とするイベント・プロデューサーとして、2度の万博(愛知、独ハノーバー)の政府主催行事や、「アジア舞台芸術祭(ベトナム)」、40を超える巨大イベントを手掛ける。テレビ、新聞、ラジオなどでも活躍中。神奈川文化賞未来賞、横浜文化賞奨励賞を受賞。

ヒダノ修一公式ホームページ
http://www.hidashu.com/

『TICAD W 記念コンサート・ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ・パーカッション・オーケストラ・コンサートwith ヒダノ修一スーパー太鼓プロジェクト』
日時:5月16日(金)・5月17日(土)
場所:関内ホール(横浜)
開演:16日/19:00(開場18:30)、17日/16:00(開場15:30)
料金:各日3,500円(一般)
出演:ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ・パーカッション・オーケストラ、ヒダノ修一スーパー太鼓プロジェクト/ヒダノ修一(太鼓、プロデュース)、石川直(スネアドラム)、林田ひろゆき(太鼓) 、高田淳(太鼓)、山本綾乃(太鼓)、しんた(太鼓)

http://www.conversation.co.jp
/schedule/doudou/
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